ブランドが生まれてくるには“ワケ”があります。
とりわけ肌箋集28には多くの“ワケ”がありました。
ここではその誕生にまつわるお話をいたします。
その小さな石が投げられたのは、まだデフレスパイラルのさなか、2010年にさかのぼります。便利が当たり前で、人との付き合いは煩わしいと考えてきた人が、「どこか違うぞ」と思い始めていました(その後この潮流は東日本大震災でくっきりと姿を現し、「人恋しさ」をかなえる方向に、本質的なものを提供する方向に、種々のマーケティングは軸足を移しています)。
化粧品を例にとると、作る人も、伝える人も、使う人も、どこか胸がとどろかなくなっていました。『独創的なアイデアとお客様の気持ちを結び付けてわくわくするような商品を作り、それをお客様一人ひとりに寄り添って説明し、お勧めし、お客様は化粧品という情緒のなかで、効果だけでない総合品質を味わう』 化粧品文化が時間をかけて作ってきたこの愚直な清流に「よどみ」が生じていました。
「よどみ」を取って化粧品開発の王道を取り戻してみよう。その醍醐味を盟友である小売りの皆様と一緒に味わおう。私たちは変化球ではなく直球勝負を挑むことにしました。もちろん相手はお客様です。私たちは小さな化粧品会社を立ち上げることにしました。
最初にしなくてはいけないことは、世の中にどこにもない感触で、スキン効果の高い商品を作り出すことでした。そのためには小さな会社でも研究所が必要だと考え、都内のマンションの2部屋を実験室に改良し、自らの手で研究開発を始めました。外装やマーケティングの検討は後に回し、1年8か月の歳月を中味研究のみに費やすことになります。
良い商品を作るのを憲法1条だとすれば、2条はどうやってお客様に届けるか、ということになります。お客様の肌をみつめながらきちんとしたカウンセリングを通して商品の価値を正しくお伝えしてきた化粧品専門店こそ私たちの真のパートナーだと確信しました。
また専門店とお客様が顔の見える関係ならば、私たちと専門店もそういう関係でいたいと思いました。私たちはお取引きいただけるお店は100店もあればいいと考えました。いいえ顔の見える関係でコラボするには100店ぐらいがちょうどいいと思いました。
こうして1条と2条は出来上がります。3条は小さな化粧品会社には大きすぎる志ですが、「社会貢献」を掲げます。化粧品を世に出すことにより、何か社会に良いことをしたい。これからの化粧品に不可欠な要素だと思いました。 のちに弊社の代表になる池田はラオスというアジアの最貧国で15年にわたりボランティアを行っています。ラオスの若者のために料理、縫製、美容、木工の職業訓練校をつくり運営しています。しかし残念なことに手に職は付いてもラオスには肝心の仕事がありませんでした。
――そうだ、ラオスにはシルクがある。花梨の銘木もある。これを使わない手はない。ラオスボランティアと化粧品づくりが合わさった瞬間でした。アイデアは一気に煮詰まります。縫製コースの女性にシルクでポーチをつくってもらい、木工コースの男性に花梨の木で什器を作ってもらう。そしてそれは彼らに仕事を提供することになる。憲法3条はこうして魂が入りました。
憲法3条からなる化粧品会社を肌箋舎と名付け、荒海の中に漕ぎ出すことになりました。
(2011年春)