2 設計:発売にいたるまで

副代表の並河はデザイナーを伴いラオスに飛びます。古都ルアンパバーン近郊の絹織物の村でラオシルクを買い付けたかったのですが、色味や風合いがイマイチです。「ボランティアだから、これでもいいか」という悪魔のささやきと戦いながら、国境を越えてタイにも行ってみますが、満足のいくものはなかなか見つかりませんでした。

手触りの良い生地とブランドコンセプトに合致しそうな色を首都ビエンチャンの呉服屋でみつけます。それからが長丁場でした。町の工房で糸を染め、足踏み織物機で織り上げ、1個分を裁断してポーチを縫い、紐を通す……、気の遠くなる作業が待っていました。すべてが手作業ですから、数がまとまれば安くなるという化粧品業界の論理は通用しません。それどころか出来上がったポーチの輸送もままなりません。港湾のないラオスからポーチや什器用の花梨トレイを運ぶのは大変なことでした。隣国タイの洪水騒ぎにも巻き込まれ、結局は善意の人が手荷物として運んでくれました。肌箋舎の意思や心意気は周囲の人に確実に理解されていました。

頭を悩ましたのは、裁縫の技術でした。職業訓練校を卒業したとはいえまだまだ未熟で、ミシンも旧式だったので、出来栄えの良くないポーチが続出しました。この時も前述の悪魔のささやきが聞こえます。でも私たちと現地のNGOの人たちの意見は一緒でした。“徹底的に作り直させよう。彼女たちのためにやっていることが彼女たちの成長を妨げてはいけない”、みんなで鬼になりました。

商品の中味研究も紆余曲折を繰り返します。研究員には全てのアイテムが新処方であり、ファーストエントリーであることを求めました。最大の敵『乾燥』から角層を守るというベーシックな機能を深掘りし、オーガニックなのにパワフルなスキンケアを目指しました。

オーガニックは流行りの分野です。でもイメージ先行で、本当にスキンケア効果のある商品はほとんどありませんでした。肌に良い本格的なオーガニックコスメをつくりたい、その思いは研究開始時からありました。理想的なオーガニック化粧品について勉強しました。そして結論を得ます。それは西洋医学と漢方の関係と同じでした。漢方だけで健康を守れないように、オーガニック素材だけでスキンケア効果に優れた化粧品は作れないことに気づきます。『和魂洋才』はその後の肌箋集28の底流となります。有機栽培で多目に備わったせっかくの生物活性が台無しにされないよう注意しながら、西洋知をふんだんに取り込みました。セラミドやヒアルロン酸、ビタミンP(血行促進),クレアチニン(美白原料)などがそれに当たります。

使用感触もいままでなかったものになりました。コラーゲンやポリフェノールを活性剤代わりに使ったユニークな処方には思いがけないメリットがありました。肌への浸透力がけた違いに高いのです。脆い乳化が肌上で壊れ、有効成分が浸透していくからだと思います。この技術は特許を申請しました。

どれほどのスキンケア効果があるかは、これからパートナーになる化粧品専門店の協力を仰ぎました。ご店主や従業員さまの肌実感を精査に調べ、改良を加えました。作り手と売り手のコラボを通して商品の完成度は上がっていきました。

中味に見通しが立ち、さてパッケージは、マーケティングは、と考え始めたとき、東日本大震災が起こります。2011年の春です。世の中に化粧品どころでないという風潮が出てくるのではないかと思いましたが、事実は逆でした。被災地から化粧品に勇気づけられたというエピソードが寄せられ、大手のメーカーは現地で化粧品配りを始めました。いったんは開発の自粛を検討し始めた私たちは反省し、元の軌道に戻します。化粧品を通して社会の役に立ちたい、弊社憲法第3条をもう一度かみしめました。

2012年2月、肌箋集28は5店のお店と共にデビューします。宣伝も販促物も試用サンプルも何もない、ひっそりとした門出でした。前年に採用した3人の新入社員の元気さと、お店の熱意が頼りでした。

(2012年春)